2003年12月07日
豊島事件とは
1.経過
豊島問題とは、香川県豊島の西側に、1978年から13年間にわたり、悪質な事業者と香川県がその業者を擁護したことによって有害産業廃棄物が不法に投棄され、野焼きされた事件です。1990年に兵庫県警の摘発により操業こそ停止しましたが、あとには50万トンを越える有害産業廃棄物が放置され、ダイオキシンを含む有害物質が瀬戸内海に流れ続けています。
2.現状
豊島住民は、1993年から国の公害調停を申請し、現在も調停作業が続いています。1995年に、香川県が「周辺環境に影響がない」と言い続けていた産廃投棄現場に公調委が入り、調査した結果、香川県の説明する3倍近い廃棄物が埋まっており、しかも極めて有害で、そこから瀬戸内海へ有害物質が流れ出しているという状況が明らかにされたのです(廃棄物中のダイオキシン最大値39000pg-TEQ/g、浸出水のダイオキシン最大値28000pg-TEQ/l)。今日現在、業者が摘発されてから10年近い年月が経とうとしていますが、何ら周辺環境を守る工事等がなされることなく、今でも黒い浸出水が瀬戸内海を汚染しています。
3.産廃撤去の方法
1997年夏に、香川県と豊島住民とが中間合意を結び、産廃撤去の方策を考える技術検討委員会が発足しました。そこで協議された結果、豊島の産業廃棄物は、溶融処理することによって無害化することが可能となり、全量が島外に撤去可能とする報告書が出されました。また、それと同時に産廃と海が接している部分に遮水壁を設け、汚染物質が海へ漏れ出すことを止める工事の仕様も明らかになりました。香川県は、その工事をするための予算を計上しています。しかし今日現在、何も環境を保全する対策がなされてはいません。
4.行政の責任
香川県は、大きな過ちをおかしました。「廃棄物の認定の誤り」と「指導監督の怠り」という二つの過ちです。その結果、豊島ではわが国最大ともいわれる深刻な事態が起こりました。香川県はこの事件を引き起こした当事者なのです。もし、仮に当事者でなくとも行政としてしなければならないことがあります。一つ目は、環境が汚染されているのならこれ以上汚染を広げないように、そして県民の生活環境を守るために対策をすることです。また同時に、将来にわたって危険のないように根本的な対策をしなければなりません。二つ目は、二度と同じ過ちが起こらないようにするために、徹底的な原因解明をすることです。香川県は、豊島問題を引き起こした原因者としての責任が果たせていないだけでなく、行政として当然のことさえできていないのです。
5.現在そして未来への課題
平成10年夏、香川県に真鍋知事が誕生しました。真鍋知事はその年の12月議会で、謝罪はおろか、中間合意で認めた香川県の責任を再び否定し、豊島の住民運動を「お金欲しさの運動」と批判しました。豊島住民は、自らの過ちを認めて今後の行政に生かそうとする姿勢を示さない香川県知事に「謝罪」を要求しています。そして、香川県が実施する産廃の中間処理事業に「無害化、完全撤去」「二次公害を出さない」「住民関与」の3項目を要求しています。豊島住民は、最後のゴミが処理され、世界的にみても貴重な「汚染からの回復」が果たされる日まで立ち会い続けていくつもりです。
※上記の文章は平成11年春に作成したものです。
平成11年夏、香川県は産廃の中間処理事業を豊島の隣の直島で実施したい旨の提案を出してきました。廃棄物を船で豊島から搬送し、直島の三菱マテリアルの工場敷地内で溶融処理しようという提案です。この案には豊島にある廃棄物を10年の年月をかけて処理し、処理を終えた後は、豊島以外の産業廃棄物を直島に集め、処理していこうという計画です。
平成12年6月6日、豊島の公害調停は、香川県による産業廃棄物の撤去と、知事が豊島住民に対し謝罪したことにより、終結いたしました。
しかしこのことは、香川県との調停こそ解決したものの、産廃が豊島からなくなったというわけではありません。これから始まるであろう撤去事業に豊島住民自ら関わり、2次公害が起きないよう、そして豊島が汚染から回復されるようになるまで、立ち会いつづけなければなりません。また、公的な資金が投入されるという観点からは、この事業の一部始終が公開されていかかければなりません。またこの25年間の間に傷つけられた豊島をいかに復興させていくかという大きな課題も残されています。
豊島事件はまだ終わったわけではないのです。決して風化させることのないよう、皆様方のさらなるご支援を、お願いいたします。
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