2003年12月07日

「豊島を通してこの国の形が見える」講演録

豊島事件報告講演会 講演1997年7月6日 於 土庄町立中央公民館大ホール

講師 中坊公平
主催 廃棄物対策豊島住民会議
協賛 土庄町自治会連絡協議会 ・小豆島環境とくらしの連絡会


本日は土庄町の、小豆島の多数の方々がお集まりいただき、心からお礼申し上げます。また本日午前中は、土庄町自治会連絡協議会の有志の皆様方が、豊島の現地を御視察いただきました。本当にこれもまた、心からお礼申し上げたい、このように思います。

目次
【1】豊島弁護団長・住専社長として
【2】何故割の合わない仕事をするのか。
【3】豊島事件の弁護団長として
【4】何故罪なくして罰せられるのか、官(国や県)が悪い
【5】ではどうすれば良いのか「国民主権」を1人ひとりが理解し、行使すること

【1】豊島弁護団長・住専社長として
 ご紹介いただきましたように、私は平成5年頃から豊島弁護団の団長を務めております。豊島に不法投棄された50万トンに及ぶ廃棄物を何とか島の外へ出して、豊島をきれいな島にしたいと思い仕事をしている弁護士でございます。
 また同時に昨年7月からは住宅金融債権管理機構の社長をしています。国民に対して一時金として6千8百億という税金を負担させた。これ以上にまた限度なく2次負担をさせてはならない。8兆円に及ぶ不良債券を何とか回収して、国民に負担をさせてはいけないと日夜努力しているものであります。
 月曜日から金曜日までは、この住宅金融債権管理機構の仕事をしなければならない立場にあります。このようなことで、私が豊島へ来られるのは日曜日に限られています。この日曜日もこの前の日曜日も、そのまた前の日曜日も豊島へまいりました。次の日曜日もまた豊島へ来ることと思います。私にとっては止むなく日曜日にしか豊島にさけないというのが現状であります。ところで皆さまお考えいただいてもおわかりのよぅに、体を粉にして、もう体があかんのかいなあと思うような苦痛の中で仕事をしております。労多くして、功少ない仕事であります。
 しかしながら、わたくし自身は、豊島の問題でも、住専の社長としても、一円の報酬も受けておりません。しかも実際、戦う相手方の人、権力をおもちで強い人、あるいは金融機関も私を蛇蝎の如くきらっております。その上率直にいってSPについて貰わねばならないような身の危険をも感じて仕事をしております。

【2】何故割の合わない仕事をするのか。

 それではわたくしがこれほど割りのあわない仕事を何故するようになったのか。みなさまに聞いていただきたいと思います。

《生い立ち》
 わたくしは昭和4年8月2日、京都で弁護士をしていた、比較的裕福な家庭に生まれました。私は生まれついて大変な虚弱児でございます。現在も左手でご飯を食べているのでございます。母に聞きますと、あまりに虚弱なので、無理に右手に持ちかえさせたら死んでしまうのとちがうかといわれて、そのままにしたそうであります。そのようなことで、学校へ行きましても、いまでいう落ちこぼれ。中学校の入学試験も、高校の入学試験も落第し今日にいたりました。やっと大学だけは普通に入ったのですが、正月になると母が公平さんのところへは年賀状が1通もこないのやなといわれるほど孤独な学生でした。

《弁護士になって》
 それでも司法試験に合格して、昭和32年から大阪で弁護士を開業いたしました。34年に独立して大阪で弁護士をやります中で、どうしてもお客さんが来ない。こらたいへんだということに気が付きました。お客さんがこないとあかん。そのためには裁判に勝たなあかん。それには現場へ行くこっちゃ。現場を知り尽くしておれば必ず勝つと、勝つ手口をおぼえたのであります。
 それからのちは私もおもしろいほどお金が儲かりました。イソベン(居候の弁護士)も置くようになりました。そしでS45年には大阪弁護士会副会長として当選することになりました。率直に言って、私の人生はいい人生だ。私は間違っていないと思っていたのであります。そのような私が、頭を脳天から割られるような思いをすることになったのであります。

《森永砒素ミルク事件の弁護を引き受けて》
私がすでに44才に立ち至っておりました。S48年の4月森永砒素ミルク事件被害者の弁護団の団長を引き受けたのであります。森永砒素中毒事件といいますのは、皆さんもご存じのように、香川県のお隣の徳島県の森永ミルク徳島工場で作られた、赤ちゃんの飲む紛ミルクの中に砒素が入っておった事件であります。厚生省が発表しおりましただけでも被害者は1万2千人、すでに死者も2百人を越えていたのであります。
 このような、世界の食中毒事件でも例を見ない、また赤ちゃんの唯一の食料である粉ミルクに毒が入っていたということで、きわめて残酷な事故として今だに世に問われている事件であります。
 その事件も一旦はこれでもう後遺症も無くなったといわれていたのですけれど、14年経ったS44年、堺の保健婦さんたちがこの子たちには後遺症が残っていると訴えはじめられました。そしてもう一度この問題がもちだされることになりました。もう一度自分たちの子供を救うための恒久救済案を作りまして、それを森永と国に飲んで貰おうと国と森永の責任を求めてS48年に民事訴訟が起こされました。その弁護団の一人に参加したのであります。
 私自身は率直に言って、弁護をする立場にありながら、疑問を持ちました。というのは、そのミルクを飲んだという赤ちゃんというのが、短い人では2週間、長い人でも1 カ月か、2カ月という程度であります(注:店頭に流通していたのは10日から20日ぐらい)。1カ月や2カ月飲んだからといって14年もたって後遺症が出てくるものかどうか。森永も国も、いわゆる遅滞からでたもので、砒素による被害ではないといいます。もしかしたらそうかもしれんなあと私も思いました。弁護団長がこんなことを思っていたのではあかんのですが。現場を知れば勝つことができるとわかったのではないか。広い会場では被害者の人たちに会いました。またお話もしました。しかし、被害者の生活している家まで行ってその生活を見てきただろうかと気が付きました。そこで、私は少なくとも原告になっていただいている50数名の人たちのところへ、今回と同じように、土曜日の午後と日曜と祝日に被害者訪問をはじめるわけであります。その被害者訪問の中で私が知ったことが、世の中にこれほどのことがと、私の生き方間違っていたと思い至りました。

《森永砒素ミルク被害者から聞いたこと》
 被害者からは、さぞかし森永や国への非難の声が開かれると思っていたのですが、驚いたことには、50数名の被害者の一人も国や森永の悪口を言わないのです。被害者の親たちが、一番言ったことは、「母乳の出ない女が母親になるべきでなかった」。二つ目に多いのは、当時ミルクを飲ませようとすると、1歳に満たない赤ちゃんが、手で払ったというんです。払うわけがありません。しかし、手で払った時に、これはおかしいと自分は思わなかったのかと自分を責めているんです。「赤ちゃんが気付くわけはないし、あんたの方が気付くというのも不可能な話やないか」と僕が言うと「自分の知っている人は、このミルクはやっぱりおかしいと重湯に切り替えて軽傷で済んでいる。母親でありながら、何故、自分は気付かなかったのか」と自分を責めている。それから三つ目には、あの時、同じ森永から「金線入り」のちょっと高いミルクを出していた。これにはたまたま砒素が入っていなかったのであります。お父さん、お母さんがおっしゃるには「自分の子供に安いものを買ったこの親が悪い。この事だけで、どんな罪を受けてもしょうがないんです。」とまた自分を責める。
 1軒や2軒じゃなくて、全部その調子なんですから、私も考え込みました。最初のうちは、ええカッコする人がいるなあくらいの認識でしたが、10軒、20軒にもなってくると、そうはいきません。これは僕の勝手な解釈かも知れませんけど、結局、自分を責めるめが一番の救済なんじゃないか、と思うに至りました。結局、被害者救済とか世間はカッコのいいことをいうけれど、本当は誰も救済してくれない。彼らは世間がどれほど冷たいかを良く知っているのです。それぐらいなら、自分を責めてる方が心の安堵が得られるということやないか。私はそれに思い当たったとき、はじめて、重大な被害、過酷な運命にあった人が、どういう心の状態にあるのか、分かったような気がしたんです。そのとき世間にこういう重荷を背負った人がおられるなら、その重荷を自分も一緒に分けて背負おうじゃないかという気持ちになりました。自分だって、落ちこぼれだったんですから。
 テンカンの発作をくりかえし、17才でなくなった被害者のお母さんに一番悲しかったことは何だったんですかと聞いたとき、私にとっては思いがけないことをききました。「うちのタケオは生涯3つの言葉しかいえませんでした。1つは『おかあ』、2つ目は『まんま』、そして3つ目は『あほう』です」というのであります。「何も言えない子であっても、『おかあさん』『まんま』だけは、教えたいと思って、その子に教え込んで行きました」。「しかしながら『あほう』という言葉は私は1回もいったことがない。これを教え込んだのは世間です。世間はこれほど冷たいのです」。あるいはタケオ君はわかりませんから外へ出ても迷子になります。そして、ゼッケンのようなものをお母さんが縫い付けておりました。「迷子になったら、ここへ済みませんが電話をして下さいと書いてそとへ出すのであります。それでもタケオは外へ出るのが好きでした。外へ出れば、よその子に、砂をかけられたり、傷をつけられたりして帰ってきます。うちのタケオは他人の前では泣かなかった。帰って、母の手にすがった時に、はじめて泣いた。あほやから、いじめてもわからんやろうと他人は思っていたのではないでしょうか。でもそうではないのです」と話されました。

《弁護士として、罪なく罰せられている人のために》
私はこの時はじめて、世の中で抵抗できるものはよい。抵抗しようにもできないものはどうしたらよいのかと思いました。はじめて私は弁護士として、罪なくして罰せられるということがあってはならない。それは無辜の民を作ることである。冤罪をつくることである。このような人の権利は何としても守らねばならないと思うようになったわけであります。しかしながら、世の中には、罪なくして罰せられる人たちの何と多いことか。その人たちは、どれほど悔しかったり悲しかったりしても表には出せない。また出してもうまく行かない。泣き寝入りして寝るだけという心境ではないか。正直いって私も出来の悪い息子でございました。それだけに弱いものがいじめられる、それで泣き寝入りする、それだけは、罰してはいけないのだ。罪のない人は何としても守らないといけない。そう思うようになりました。
 そしてその後は、ご承知のように消費者保護委員会とか豊田商事の破産管財人とかもいたしました。被害者やいじめられている人たちのためになんとなくやるのが心の救いになる。安堵を得られる事だと悟ることになりました。

【3】豊島事件の弁護団長として

《きっかけ》
 先ほど申し上げたように、H5年9月7日、豊島事件を引きうけることになります。私は正直いって、環境とか産業廃棄物とか、そのために日本がどうなるのかとかあまり知らずにこの事件をやっておるのであります。たまたま、私が事務所でいっしょに仕事をしている私と同期の豊島弁護士の嫁さんが、同じ豊島と書く、豊島の出身だったのであります。H5年5月頃、その豊島弁護士のところへ、刑事事件の記録を探してと豊島の人達が頼みに来られたのであります。彼はこれを取り寄せ、島の人たちに渡したということであります。住民はこれを地元の県議に渡し、県議を通じて、県に渡したようでありますが、県は結局何の反応もなかったということであります。

《公害調停に持ち込む》
 不法行為をしてから3年以内に訴訟をおこさないと、法的効果がなくなるのであります。期限ぎりぎりのH5年11月11日、公害調停を申し立てるわけであります。裁判の判決は一方的だが、公害調停は相手の合意が必要であります。いかに理不尽な事でも県が県民の合意が得られないと言って、合意しなければ、まとまらないのであります。そんなことなら中坊さんよ、何故最初から裁判をしなかったのかというのが当然です。しかしこのような場合にも実は役所というものはつねにこうなんであります(※役所に有利なようになっている)。兵庫県警の摘発で、産業廃棄物であると認定はくつがえりました。しかし県はドラム缶を持ち出しただけで、きれいになって、害はありませんと言っているのです。県は現場を調査しているのです。裁判に持ち込むには、これをくつがえさないといけないのであります。県は廃棄物の総量は14万トンというが、住民側はそんなはずはない、現場にあるものはとてもそんなちょっとのもんとはちがう。有害物がもうないなんて、そんなはずがない。中を掘ったら、いっぱいあるし、煙もでるんやという。
 しかし裁判に持ち込むには、まず鑑定が必要であります。鑑定費用というのが、岡山大学にあたってみましたが、1検体あたり2万円とか3万円もいるということで、これではとても県のいうことをくつがえすことなど出来ない。そこで考えたのが、公害調停法によれば、必要があるときには国の費用でもってこのような調査ができるということです。私たちはこの条文にかかったわけであります。そしたら、国の費用でほんまに正しい鑑定をして貰えるのとちゃうか。そのために実は公害調停という手続きを踏んだのであります。
 事実、専門委員会の予算というのが、2億3千6百万円という多額なものになりました。国の費用で行なうことが出来たのであります。その結果、われわれの言った通り51 万トンもの廃棄物が残っておる。その有害性は、遮断型処分場にいれないといけないほど有毒でダイオキシンもあるというふうなことが、国の機関によって明らかにされたのであります。
 我々は正直いって、私自身はどこへ行くにもグリーン車に乗ります。しかし、豊島事件の場合は、なぜ普通の汽車に乗っていくのか。はっきり言って、住民にはお金がないからであります。このように弱いものが戦おうとすれば、そういう(公害調停に持ち込むというような)知恵を出していかないといけない。しかし、そのようにすればまた、県の同意がなければ、進まないという事態にもなっているわけであります。

《なぜ、県の責任を問うのか》
 さきほどから、石井さんや岩城弁護士が申しました。行って記録を見てみて思いました。島の人たちはS52年に産廃処理場設置反対のデモをされ、あれから20 年が経過しました。その間、島の人たちのどこが悪かったのでしょうか。
 この人たちは最初から、こんなことをされたらあぶないのとちがうかと県にも言いました。S52年にデモをし、裁判も起こしました。そして、ミミズの養殖やちゅうのなら、よいのとちがうか。ミミズの食べるカンナクズや家畜の糞やったら、悪いことはないのとちがうかということになった。
 県は兵庫県警の摘発まで、実に、みみず養殖の許可しか出していないのであります。先程のNHKのテープにもあったように、県は118回も現場を調査していることになっている。シュレッダーダストとか油とかこんなものをどうしてミミズが食べられますか。ミミズが食べられないぐらい誰の目にもはっきりしています。それでも、県というものは、ミミズ養殖やという見解をずっと変えないで押し通したのであります。兵庫県警の摘発後、はじめて、見解を変えて撤去命令を出されておる。県が指導、監督をする。ミミズの養殖だけで,悪いものは持ち込ませないからとの約束がこの始末です。
 このことに対して、島の人たちは、公民館へ県の職員を呼んで、質問したり、公開質問状を出して、県に回答を求めました。県の回答は、あれは産業廃棄物とちがうんや、あれは金属回収業をやっとるんや。あれは合法やから止められへん。その結果がこのようなことになったのです。県を信じた住民の人たち、この人たちのどこに非があるというのでしょう。何の罪があるというのでしょう。しかも現実はまさに罪なくして罰せられているのではないでしょうか。


《罪なく罰せられる例:住専》
 森永砒素ミルク事件で、赤ちやんがミルクビンを手で払って、これを止めなかったお母さんに何の罪があるというのでしょうか。あるいは豊島の人たちに何の罪があるのでしょうか。それにもかかわらず、住民の人たちは、これほど罰を受けているのであります。私が社長をしている住専の問題を例にとるならば、住専の問題は端的に言ってに言って簡単なことなんであります。住専7社が倒産したというだけであります。不良債権を多数発生させて樹産したということであります。7社で実に13兆円という馬鹿でかい損失を出して来たのであります。皆さん方、実は私も社長になって、今だに兆円というお金の単位が理解できないでいます。正直言って、今も金銭感覚がくるっていまして、高いお金も安いなあと思ったりするしだいです。

 1兆円の大きさとは、皆さんのお一人、お一人が、結構な身分になりまして、1日百方円ずつお金が使える身分になったとして、利息も何も関係ないとして、かりに一日百方円ずつ使うとすると、1兆円使うのに何年かかるでしょうか。3 千年かかるのであります。ご承知のように、3千年の間には、素良時代も平安時代もある。戦国時l代もありました。その続きでずーと1997年でっしゃろ。1兆円の金なんて、とうてい使えないのです.それを13兆円。住専7社の失敗ですわ。

 しかし問題はここからですわ。このことに私たち一般の国民は、何の責任があるというのでしょうか。住専7社の経営者、それを作ってきた全国のいたるところの銀行、信託銀行、証券会社、それではないのでしょうか。そこから人を送ってきた会社の責任ではないのでしょうか。また、これを監督してきた大蔵省の責任ではないのでしょうか。しかしすでに6千8百億、ご承知のように、赤ちゃん一人に至るまで、何の責任もない国民が1人5千6百円もすでに出さされている。国はそれをもって税金で後始末する。いまの方法によりますと無制限に出せる。私は今度は社長でも株主は国一人なんです。私がどんなへまをしても、国のいうことだけ聞いていればよい立場にあります。株主代表訴訟は絶対に起こされないのであります。わしが、よっしゃ、ほんなら国のいう通りになってやろ。いっっぺんにだすわけではないんで、はい、今日は百万円、はい今日は二百万円・、はい、今日は何ぼというふうに申請すれば、無制限に国庫から出てくるのであります。私はその現場の社長として、橋本総理にもいいました。それはおかしい。あんたらは出来るだけ努力をしてあかなんだらしょうがないという。発想が逆と違いますか。何としてでも国民に負担をかけないという決意のもとに何ができるかを考えるべきである。私はそれを申し上げました。
 この問題では、一般国民は住専7社の倒産には何の責任もないのに全国の一般国民もまさに罪なくして罰せられているのであります。森永の被害者も、豊島の住民も、時には一般の国民も時として何もしてないのに罰せられ、なやみ、苦しみ、時には泣きねいりさせられるのであります。

【4】なぜ、罪なくして罰せられるのか、官(国や県)が悪い。

 何故こうなるのか。私は今、あらためて、皆さんといっしょに考えたいのであります。何故こうなるのかということであります。なぜ、森永砒素ミルクに苦しむお父さん、お母さん、産廃で苦しむ豊島の住民、そして住専では一般国民まで苦しむことになったのか。
 私たちがおまかせしている官が悪いのであります。森永の場合を例にとりますと、s48年当時、公害の被害者は2度殺される。一度ではない。二度まで殺されると被害者たちはいわれた。1度はご承知のように砒素によってであります。二度目は国によってだと被害者はいいました。

《森永砒素ミルク事件の場合》
 昭和30年8月に砒素が入っていることを厚生省が発見しました。その年の12 月までに厚生省は二つの委員会を発足させました。一つは西沢委員会という大阪大学の小児科の教授を中心とする医師会の先生方によってであります。もう一つはわれわれの先輩の弁護士なども入る損害賠償の額を決める委員会であります。
 その西沢委員会において、今から思うときわめてずさんな、肝臓がちょっとはれあがっているのが治ってくると、肝臓に二本の指で触ってみて、肝臓にあたらなければなにももないという、きわめてずさんな診断基準を作って、その年の12 月には、もう森永砒素ミルク事件の被害者はいないといわれた。
 その結果が親たちが、この子はもしかして後遺症が残っているのと違いますかとお医者さんに行っても調べてもくれないのであります。そしてまた、その5 人委員会は被害者一律1万円、そしてまた重症の人ば2万円、これでよいと判断するのであります。森永は現金書留をを送り届けて、これで責任無しとするのであります。国の力によって被害者は合法的に圧殺されたのであります。

《豊島事件の場合》
豊島の件をとってみましても、やったのは松浦です。しかし松浦がやったことに、金属回収業だとおお墨付きを与えたのは県であります。今発見されて、それに対する動機まで検察官によって明らかになっておりながら、県は責任を認めない。おれの同意がなかったら、調停案はできまへんやろ。責任を認めながら、こういう文章はあかん。先ほど岩城弁護士がいったように、責任を実質的に空洞化させるようなことでないと同意しない。県議会がそれを一致してやっている。県も県議会の議員もせれが正しいんだとおっしゃる。このようなのが、豊島事件の実態であります。
 国とか県とかは我々が選挙して選んだのではないか。豊島の人から知事はお父さんだという言葉を何回も聞きました。お父さんだったら何とかしてくれるだろう、何とかしてくれるだろうと思い続けてきたのが、そうはならなかったのであります。《住専の場合》
 住専の問題にしても、今の法律のまま行けば、ほんとに無制限なんです。しかも、前は六千八百億円なんですが、今度はその都度私が助成金襴というところに書き込めば、お金が出てくるようになっている。私はその事業計画を大蔵省に出すときに、その助成金襴を実は全部空白のまま出してあります。私は、何としても債券を回収して、国民に2次負担をかけないんだということにしている。もし、そうでなかったら、それを国のようにまあまあということにしていたらどうなっていたでしょう。ほんとに官がわれわれの側に立って、やってくれると信じたことが実は間違いであったことが多いのであります。

【5】では、どうすればよいのか。「国民主権」を一人ひとりが理解し、行使すること。

《憲法と国民主権》
 ではどうすればよいのか。かたい話にはなりますが、もう一度、、皆さん方に根本的なとこを申し上げたい。実はその根底は日本国の憲法にあります。日本国の憲法は皆さんご承知のように、3つの基本原則によって成ら立っておるといわれています。1つは国民主権、1つは平和憲法、3つ目は人権擁護であります。その憲法は、前文の中にどのように書いてあるかといいますと、国民主権というものは、人類不変の原理であって、憲法をもっても変えることが出来ないと記されています。他の条文は、憲法を変えたら、なおすことかできるが、国民主権だけは憲法をもってもなおすことができないとわわざわざ、われわれは明記して日本国憲法を作ったのであります。3つの原則のなかの1番の大原則が国民主権ということであります。

《建前だけの国民主権》
 しかしながらこ、日本は今、大転換期にあるといわれる。明治維新、戦争、そして今、三番目のおおきな転換期にあり、日本国が閉塞状態にあるといわれています。何故閉塞状態になっているのか。地球はグローバル化している。交通も、情報もグローバル化しておる時に、地球規模で物を考えねばならない時にあって、正直いって、日本は世界の流れに遅れているからであります。経済は発展しても、1番根幹のところで抜けているからであります。その抜けているとてろが、l実ほ国民主権というところであります。
 私たちは敗戦まで明治の帝国憲法のもとにありました。その帝国憲法においては日本国は万世一系の天皇これを統治すと書いてありました。現在の憲法の第一条には、天皇の地位は象徴的なものであって、主権の存する国民の総意に基づくと明記されておるのであります。明治憲法から180度転換したわけであります。しかしながら、正直言って、現在の憲法は、われわれが自ら作ったというよりもマッカーサーから教えられ出来たものであります。われわれ国民一人ひとりが戦いとったものではないのであります。そのため憲法に書かれている国民主権は結果的に建前でして、私たちみ んなが国民主権を感じるのは選挙の時だけではないでしょうか。その選挙の投票率は昨年の衆議院選挙では59%という世界でも例を見ない低い投票率に終わっております。我々は国民主権とはどんなものであるか、実は知らないのであります。

《国民主権とは》
それでは国民主権とは、どんなものなのでしょうか。憲法によれば、国政はわれわれが選挙した代表者を通じて行なわると書かれております。国のレベルでは国会議申を選挙して選びます。地方自治体では県会議員や知事、市町村長を選挙することによって、われわれ国民が主権者であるということを明らかにしております。 我々の意を帯した人が、その責任で、我々のためにやってくれると云うことであります。ところが、森永の例でも、豊島の例でも、住専でも、選んだ代表者がその通りにしていないわけであます。我々の意志に反したことをしても、我々がそれを見過ごしている。次に選挙があったときには、それを忘れてしまっているのであります。このような繰り返しを、何回となくやってきているのであります。
私は、この5月15日御嵩町へも行ってまいりました。そこの住民大会において柳川町長とも話をいたしました。私自身が驚きましたことは、柳川町長が当選して以後、1期目にあった町会議員選挙で、町議会議員13名の内1名をのぞいて12 名の現職が全部落選しているのであります。柳川町長を推す人たちが当選しておる。その結果、産廃処分場設置に関する住民投票ができる基盤が出来ているのであります。

《一人ひとりが監視を》
このことからわかるように、自分たちが選んだ人を監視しなければならない。その通り行わなければ次にその人に投票してはならない。それが実は国民主権の根幹であります。私達はその一番大切なことを忘れ、なった人任せ、なるべくなら、自分はそんなややこしいことはせんとこう、あんじょうやってくれはるやろう。その人たちもたいがい口ではええこといわはりますが、抽象的なことばかりで、ほんとに実のあることがあったでしょうか。私たちは今ここで、そのことを考えなければならない。罪なくして罰せられる悲しいことを我が国で起こさしてはならないのであります。
そのためには、私たち一人一人が、そのような事があるたびに、県とか国とかを監視し、それを直して行かねばならない。もしこのことを怠っているならば、まあええやないか、ええやないか、誰かがレてくれるやろ、そうしておれば、そのうちにまさに、世界のグローバル化の中で、日本国は今、世の中で行き渡っている閉塞感の中で、日本国は西洋からもアジアからも忘れられる。一旦は経済復興はしたけれども、その後はこのようなことになってしまったという状態になりかねないのではないか。

《わが手で、ふるさとを守ることが必要》
 本日の見出しを見たときに、豊かなふるさと、わが手で守ると書かれてあります. まさに必要なのは、わが手で守ることなのであります。決して、他人様が私達を助けてはくれないのであります.私は豊島住民大会でも訴えました。みんなが自分で守ろうと。そしたらまずは、となりの土庄町まで行って、土庄町の人に訴ていかな。訴えて行こうではないか。前線基地を土庄町に設けようではないかと訴えました。
 おっしやるように豊島のことは、決して豊島のことではないのです。 同じく小豆島も全国から見れば過藤地ですよ。密集都市の中から過疎地へ廃棄物が押し寄せてきますよ。豊島の二の次、三の次が、今ここで起こるかも知れないのです。
 豊島のことは、決して豊島だけのことではないのです。
 私が土庄町の皆さんに訴えたいと思いますのは、豊島は豊島として存在はいたしません。土庄町豊島なのであります。土庄町の中に豊島があるのであります。どうか、 豊島のことをお忘れなく.この人たちが今、自ら立ち上がって、守ろうと思って、はい上がっているところであります。  その豊島の人達に対しまして、ほんとに心からなる援助の手をさしのべていただくよう心からお願いいいたしまして、私の挨拶といたします.どうもありがとうございま した。

(当ホールはじまって以来の900名を超える来聴者からの大きな大きな拍手続く)

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