2004年01月06日

『豊島からの報告』 石井 亨

<目次>

●廃棄物中のダイオキシン『最高値39ng/g検出!』

●香川県「豊島」「ミルクの島」から「ゴミの島」へ

●事件の概要

●事件の経過
 (1)発端から「和解」まで

 (2)操業開始から兵庫県警による摘発まで

 (3)摘発から公害調停申請へ・・・

 (4)明らかとなった事実

 (5)調停の進行(実態調査の実現)

 (6)新たな事実

●豊島事件から見えてくること
 (1)国内移出と不公正の構図

 (2)スケールメリットへの疑問

 (3)廃棄物が語るもの

●おわりに


●廃棄物中のダイオキシン 『最高値39ng/g検出!』

1995年(平成7年)3月12日、かねてより公害紛争処理法に基づく国の公害調停において閣議決定を受けた専門委員(科学者)による実態調査がおこなわれていた香川県豊島の産業廃棄物不法投棄現場、その中間報告で明らかとなった数値である。
勿論TEQ値、2・3・7・8-四塩素ジベンゾ・パラ・ダイオキシンに換算してのことだ。

豊島では、大規模な野焼きが行われていた。
シュレッダーダスト(自動車を粉砕して有価金属を取り除いた廃プラスチック類)等に廃油・廃溶剤等各種有機化合物を含有する廃液をかけて大量に燃やしていたのだ・・・。 その全容は今となっては知る由もないが、刑事事件供述調書(後述)からすれば、全焼却量は10万トンとも推計される。

これがもしボトムアッシュ(焼却残渣)からの検出値だとしたら一体どれくらいの量のダイオキシンが撒き散らされたのだろうか。

想像するには余りある事実に「歴史上あってはならない事件を起こしてしまったのではないか」という不安は拭いきれない。


●香川県豊島 「ミルクの島」から「ゴミの島」へ

事件の舞台となったのは、瀬戸内海、小豆島の西方約3、7kmに位置する人口わずか1600人足らずの小島である。

島の中央部には、檀山(標高339.8メートル)がそびえ、その西方、東方及び南方に3つの集落があり、米作、みかん、酪農などの農業、ノリ養殖、ハマチ養殖を中心とする漁業と特産の豊島石(塩基性凝灰角礫岩)を主な産業とするが、いずれも相当に衰退し高齢者指数も30%を優に越えた今日、深刻な過疎化・高齢化を迎えている。
豊島は、賀川豊彦氏ゆかりの地でもあり、戦後の混乱期には、当時社会問題と化した遺棄児たちの命の糧を求めて「ミルクの島」と呼ばれていた豊島に(戦前のサナトリウム施設を利用して)乳児院が開設された。

その後、時代の流れと共に社会は安定を取り戻し、出生児が遺棄される理由が「命や人格の尊厳の危機から単なる親の身勝手」へと変遷しながらも、その数は減少した。

一方島は、高度成長の陰で急速な過疎化をたどり、独居老人の自殺という悲劇を決起に、乳児院の保母さんたちの自発的な奉仕活動として、独居老人の収容介護が行われ、後に離島としては全国的にも珍しい特別養護老人ホームの開設へとつながる。

1995年(平成7年)1月17日、阪神大震災の発生。
いち早く現地へ赴き、身寄りもなく介護を必要とする老人たちを受け入れたことは耳に新しい。 被災から再び平穏な日々を取り戻した彼らは、この島で生涯を終える事を望んでいるという。

その他にも精神薄弱者更生施設や2つのグループホームなどがあり「福祉の島」の一面をも持ち合わせたのどかで平和な島であった。

しかし同時に、産業廃棄物処理場建設反対運動から、不法投棄、そして原状回復(産業廃棄物撤去)を求める公害調停への20年の闘いの歴史とともに、「ゴミの島」「毒の島」との風評による観光客の激減、一次産品の販売難、さらには産業廃棄物による環境汚染の恐怖と、過疎化・高齢化と併せて極めて困難な状況を迎えている。


●事件の概要

1990年(平成2年)11月16日、兵庫県警の摘発によりその実態が明らかとなった豊島における産業廃棄物不法投棄事件(以下豊島事件という)は、豊島総合観光開発株式会社(ミミズによる限定無害産業廃棄物中間処理業者、以下事業者という)によって、島の西端約220,000平方メートルで、13年間にわたり極めて悪質な不法投棄が行われたものである。

1991年(平成3年)1月23日、実質的経営者は逮捕され、同年7月18日有罪判決(廃棄物処理法違反)が下されたが、今も50万トンにもおよぶ大量の有害物質を含んだ産業廃棄物は放置されたままとなっている。

この残された産業廃棄物の撤去などを求めて、1993年(平成5年)11月11日、島民の98%(549世帯)によって公害調停が申し立てられた。

現在、産業廃棄物の撤去をめぐって、調停作業が進行中である。


発端から「和解」まで

高度成長期真っ直中の1960年代後半、大阪での万国博覧会に向けて世の中が活気づいているころ、建設需要等にともない島の西端、国立公園普通地域から第2種特別島地域にかけて建設資材・産業資材として山が切り崩されていった。

事件の発端は、20年前の1975年(昭和50年)12月、その跡地利用として、有害産業廃棄物処理場を建設しようとしたことに始まる。

計画を知った私たち住民は、翌1976年(昭和51年)から自治会を介して全面的な反対運動を展開し署名・陳情などを繰り返した。しかし、「事業者の計画は島の環境を悪化させ島民の健康を損なう」という私たち住民の主張に対して、廃棄物処理業の許認可権を持つ香川県は「絶対多数の反対があっても、個人の生存権(個人が廃棄物処理業を営んで生活する権利)は認めるべきだ」として、許可の方針を貫いた。

同年9月、有害産業廃棄物を積んだ貨物船「高共丸」が豊島に接岸、許可を受けないまま荷揚げしようとして「荷揚げ禁止」の行政指導を受けることになる。

この他、一連の悪質な行為を機に香川県は事業者に対する許可を見送ることとしたため、事業者は廃棄物処理業許可申請内容を有害物から無害物へと変更した。

翌1977年(昭和52年)2月、説明会のために豊島を訪れた香川県知事は、会場で住民を前に、事業者は住民の反対にあい生活に困っている・要件を整えて事業を行えば安全であり問題はない・それでも反対するのであればそれは住民のエゴであり事業者いじめであるとして・・・・豊島は海は青く空気はきれいだが『住民の心は灰色だ』と演説した。その8日後知事は、事業者に対して廃棄物処理業の許可を出す方針であることを、公式に表明した。

これを境として住民の反対運動は激化し「産業廃棄物持ち込み絶対反対豊島住民会議」が結成された。

一方で香川県から離脱し岡山県へ移籍することを決意し岡山県玉野市へ合併の申し入れを行うという前代未聞の事態へと至る。

同年3月には、県議会へ建設中止の要請を行うとともに、島民515人(世帯)が機動隊の見守る中、県庁への抗議のデモ行進を決行した。

県議会では早速に要請を採択し、県議会議長自らが調停に乗り出したが、この調停は不調に終わってしまった。

同年6月、私たち住民は、強硬手段で産業廃棄物の搬入を阻止するため、搬入道路周辺の私有地を自治会で買い上げ、地図上の道路の幅を確認して、杭打ちを行い軽四輪車しか通れないようにすると同時に、高松地方裁判所へ建設差し止め訴訟(原告584人[世帯])を提起した。

激しくなる反対運動に業を煮やした事業者は、産業廃棄物処理場に反対する住民に対して暴行傷害事件を起こし逮捕され、再度処理場計画を「ミミズ養殖による限定無害産業廃棄物(無害の食品汚泥・製紙汚泥、木屑、家畜糞)の中間処理」へと変更することになる。

1978年(昭和53年)2月、香川県は事業者の暴行傷害事件と建設差し止め訴訟、この2つの裁判の結果を待たずに事業者に対するミミズ養殖の許可を与えた。

私たちの裁判もまた「ミミズ養殖は畜産業の一種・・・十分な監視を行えば環境汚染など起こるはずがない・・・」という香川県の説得により「和解」へと至った。

この「和解」には、事業内容を変更する時は住民と協議すること・住民の生命、身体、財産及び生産活動に損害を与えた場合は賠償すること・公害発生のおそれ又は現に公害が発生した場合は操業を一時停止し、または危害防止並びに除去の措置をとることなどが織り込まれていた。

香川県もまた、この「和解」の内容を尊重して十分な監視と指導の実施を約束したのだが・・・・・・・・。


操業開始から兵庫県警による摘発まで

操業開始と同時に、事業者は許可外の産業廃棄物を持ち込んで野焼きしたり、埋め立てを行ったりした。
私たちは香川県に対して再三にわたり事実を訴えたが、一向に有効な措置は実施されなかった。

1983年(昭和58年)頃から事業者の持ち込む産業廃棄物は、シュレッダーダスト・ドラム缶・タンクローリーで運ばれてくる得体の知れない液状物などを中心に急増多種多様化し、異様な様相を呈し始めた。
同時に、野焼きも極めて悪質なものとなり、ゼンソク症状など健康に関する苦情が急増した。

あまりにも悪質な違法状態を前に、私たちは1984年(昭和59年)香川県に対し公開質問状をもって訴えたが、驚いたことに香川県からの回答は・・・・・・
産業廃棄物中間処理場ではミミズによる処理が行われている・シュレッダーダストなどは有価金属の回収原料である・違反を知った場合は、その状況により行政指導、営業停止及び許可の取り消し処分などの措置を取るなどおよそ現実とは掛け離れたものであった。
その後、行政監察局へも足を運んだが有効な改善は見られなかった。

1988年(昭和63年)5月27日、海上保安庁姫路海上保安署が廃棄物処理法違反容疑で事業者を検挙、同年11月16日には有罪判決が下されたが、あまりにも悪質な現状にもかかわらず、香川県によって有効な措置が講じられることはなかった。

1990年(平成2年)11月16日、兵庫県警が廃棄物処理法違反容疑で再び事業者を摘発、前代未聞の事件として全国はもとより海外でも大々的に報道され、日本でも最大級の不法投棄事件である「豊島事件」が明るみに出ることとなった。


摘発から公害調停申請へ・・・

摘発直後に、私たち住民は事態の収拾を目指して「廃棄物対策豊島住民会議」を結成し対策にあたった。

事業者が廃棄物処理法違反で摘発されたにもかかわらず、香川県はその後も「事業者が行っていたのは有価金属の回収であって、廃棄物の不法処分ではない」との見解に固執していたが、相次ぐ国会議員団の視察調査などと共に、多方面からの批判に耐えかねて摘発から34日後にようやく「有価物ではなく産業廃棄物である」と、見解を180度変更した。

また摘発に伴う兵庫県警科学捜査研究所の調査や、その後の香川県の調査により、鉛・水銀・カドミウム・PCB・ヒ素・トリクロロエチレン・テトラクロロエチレンなどの有害物質が大量に混在していることが判明した。

香川県知事(許可を与えた当時とは別の人物である)は豊島住民に対して「あなたがたが直面しているのは法律ではなく現実、県のもっている能力の全てを傾倒し、法の解釈を現実に合わせる方向で検討を重ねたい」とし、そのために「業者がどのようなシステムで営業していたのか徹底的に解明する」と約束した。

そして同年12月28日、香川県は事業者に対して生活環境の保全の必要性から産業廃棄物の撤去と飛散防止の措置を命令した。

香川県の指導のもと約1340トン(住民会議試算値・全体量の約0.27%)の産業廃棄物が撤去されたが、その後は撤去も環境保全策も遅々として進まず、その一方で香川県は「周辺環境に影響を及ぼすおそれのあるものから撤去をすすめ、概ねこれらのものの撤去を終えた」として、独自の考え方に基づく調査の結果と共に事実上の安全宣言としかいいようのない公表を行った。

また現場に残る産業廃棄物の量については、約60万トンと推計する住民に対して16万トン余りであると公表した。

事件の幕引とも思える県の行動をよそ目に、私たちは解決策を求めて、事業者他による豊島事件の刑事事件記録を取り寄せたのだが、全13分冊の膨大な調書には、驚くべき真実が綴られていた。

香川県は、知っていたのである。

違法な事実を知っていながら有効な措置を実施しなかったばかりか、およそ加担していたといっても過言ではないほどに事業者を擁護していたのである。

そのあまりの内容と、事業場に放置されている産業廃棄物は有害物質で汚染されているに違いないという確信のもとに、1993年(平成5年)11月11日、時効を4日後にひかえての公害調停申請となる。


明らかとなった事実

調停申請を前に私たちは、発端から今日までの19年間の記録を詳細に調査した。そこから明らかとなったのはおよそ次の通りである。

香川県は、事業者が廃棄物処理法違反で摘発されるまで(摘発からしばらくの間も)、豊島で事業者が行っているのは有価金属の回収業であって、廃棄物の処理ではないと主張してきた。 つまり、その「物」が「廃棄物」か「有価物」かということである。

事業者は、例えばシュレッダーダストを1トンあたり300円で買ったことにして、他方で2、000円の「運搬費」を受け取り、その差額1、700円を事実上の処理費として利益を上げていた。

そして香川県は、事業者は300円を支払ってシュレッダーダストを「購入」しているのだから有価物であると説明してきたのである。

ここで形式的脱法行為が明らかとなったが、さらに驚いたことには、シュレッダーダストの焼却について事業者が香川県に相談を持ちかけたとき、香川県は「シュレッダーダストそのものは廃棄物でありますが、Mさん(事業者)が有償で買受けるのであれば廃棄物に該当しない」と説明している。

その一方で、シュレッダーダストを金属回収の原料として買い取って「金属回収業を行うということであれば、金属くず商の許可を取ってはどうですか」と指導していたのである。

こうして、ミミズ養殖業と金属回収業の2枚の看板のももとに極めて悪質な不法投棄が実現するわけだが、最盛期には関西圏の廃車シュレッダーダストの3分の2が豊島へ搬入されていたと考えられ、金属回収原料の一時保管と称された不法埋立量は、摘発当時、事業者の焼却処理能力(ほとんどが野焼き)の30年~100年分に達していた。

その他にも1983年(昭和58年)にはミミズ養殖は事実上廃業していたこと・その後7年間も実態のないミミズ養殖の許可が与え続けられたこと・香川県は廃棄物の不法処理(不法埋立・野焼き)と認識していたこと等が述べられていた。

香川県は、操業中に実に118回に及ぶ立ち入り調査を実施しており、実態をよく知っていながら、事業者と住民の間に立ち住民の訴えを圧殺し続けたのである。

また、1988年(昭和63年)に姫路海上保安署によって事業者が廃棄物処理法違反で摘発された時にも、参考人としてよばれた香川県は、高松地方検察庁に対し県としてシュレッダーダストは「廃棄物とは言い難い」との見解に立っていると供述している。

こうした実態に対し、豊島事件の判決は「行政当局(は)・・・立ち入り調査に際し、違法な現状を認識しながら・・・不徹底な指導に止まることが多く、・・・・本件犯行を助長せしめた責任の一端が存する。」と指摘している。

豊島事件は、いわば香川県の存在無くしては、あり得なかった事件なのである。

では、なぜこのようなことになってしまったのだろうか。

香川県職員の調書には・・・・・

「・・・私のMさんに対する気持ちは、気の短い乱暴な男で気げんをそこなえば何をするか分からない人・・・・・強いことが言えず・・・Mさんの都合のよい回答をしているのであります。」

「私自身どうされるかと思えば絶対にそのようなことは言えずこのように説明したのです・・・・・」

「・・・これがMさんでなければ・・・行政処分等の適正な措置が出来たと思うのですが・・・・」

等など呆れるほどの内容が綴られている。
『怖くて指導が出来なかった』とでもいうのであろうか。
いずれにしろ、決して許されないことである。

「業者がどのようなシステムで営業していたのか徹底的に解明する」と約束した香川県も、そのシステムに香川県が関与していたことが分かると一変して「香川県に法的責任は無い」との主張に終始するだけとなった。


調停の進行(実態調査の実現)

香川県には重大な責任があるとして、排出業者・処理業者らとともに香川県が出した措置命令の内容「廃棄物の撤去」が実現されるように求める住民と、「有害と思われるものの撤去は概ね終えた」とする香川県との意見は真っ向から対立した。

調停申請と同時に私たちは、県庁前での半年にわたる座り込み、葉書による抗議、県内5市38町延べ300キロメートルを徒歩で回るメッセージウォーク等のキャンペーンを展開した。

4回の調停作業を終え、国による客観的調査が実施されることが決定され、1994年(平成6年)12月、2億3千6百万円の予算で調査が開始された。

調査の結果明らかとなったのは、概ね以下のようなことである。

現場に放置された産業廃棄物の総量は約50万トンである。

その廃棄物の70%余りが鉛について有害の判定基準(廃棄物処理法)を超過(遮断型処分を義務付けられている特別管理産業廃棄物に相当)している、一部については、トリクロロエチレン・ベンゼン・PCB・総水銀・テトラクロロエチレン・ジクロロメタン・1,2-ジクロロエタン・シス1,2-ジクロロメタン・1,1,2-トリクロロエタン・1.3-ジクロロプロペンも有害の判定基準(廃棄物処理法)を超過している。

廃棄物の直下土壌については、鉛及びトリクロロエチレン・ベンゼン等がそれぞれ30%の範囲で土壌環境基準(環境基本法)を超過しており、その他一部で、テトラクロロエチレン・ジクロロメタン・1,2-ジクロロエタン・シス1,2-ジクロロメタン・1,1,1-トリクロロエタン・1,3ジクロロプロペンが超過している。

廃棄物からの浸出水では、軒並み鉛が排水基準(水質汚濁防止法)を超過、PCBが50%以上で超過、その他一部で総水銀・テトラクロロエチレン・シス1,2-ジクロロメタン・1,3-ジクロロプロペン・ベンゼンが超過している。

地下水については、鉛が軒並み水質環境基準(環境基本法)を超過。その他一部でヒ素・ベンゼン・1,2-ジクロロエタンが超過している。

また基準値は超過していないものの、ボーリング調査の結果、地下60メートルの岩盤中の地下水かも有害物質を検出。

ダイオキシンについては、基準値は設けられていないものの、検査した全ての検体から検出、廃棄物のみならず、浸出水、海岸の底質、カキ(生物)等からも検出されている。その値は廃棄物・浸出水とも過去の環境庁の調査結果に比べて高く、カキは平成5年度の環境庁調査における貝類の数値よりも1桁ないし2桁高い。

また一方で、香川県の調査が、一部浸出水を濾過してから分析を行ったり、揮発性の高い有機化合物を検体採取後養生しなかった等JISの規定を逸脱して行われており、本来の数値より低い数値が示されていることが明らかとなった。

総量についても、現地実測は行わず事業者の帳簿や伝票の取引高から推計しただけのものだった。さらにダイオキシンについては、何の根拠もないまま存在を否定していたこと等がわかった。


新たな事実

廃棄物の調査においては、溶出試験とあわせて含有試験も実施されたが、その結果現場に山積しているシュレッダーダスト主体の産業廃棄物は、一般的なシュレッダーダストの重金属含有量よりも高い値を示した。

高濃度ダイオキシン検出の事実などと考え合わせると、現場に搬入された産業廃棄物は、ありとあらゆるものが混ぜ合わされ、野焼きされ、放置されたことで濃縮、あるいは化学変化を起こし搬入された時点とは異なる全く新しい廃棄物に生まれ変わったと考えられる。

また長期間放置されたことにより、有害物質は水に溶け出し、直下土壌や、地下水を汚染している。

周辺環境中からは基準値を上回る汚染は発見されていないが、鉛やヒ素・ダイオキシンが検出され、徐々にではあるが、底質や生物に汚染が拡大する可能性があることが示唆された。

これらの実態調査の結果に基づいて、今後、現場に放置された産業廃棄物の撤去が話し合われることとなる。


●豊島事件から見えてくること

国内移出と不公正の構図

豊島には大量の産業廃棄物が持ち込まれ、放置された産業廃棄物が周辺の環境を汚染し始めた。
持ち込まれた物が何であったのか追跡してみると、例えば工場排水の浄化槽汚泥であったりする。

1960~1970年代には日本中で公害が問題視された。いわゆる典型7公害時代である。

その頃は、環境の汚染源である工場と、被害を受ける住民とが同じ地域のなかに共存していた、しかも加害者と被害者がはっきりと認識できる状態にあった。

環境の悪化を伴う地域社会活動について加害者・被害者共に当事者という認識のもとに問題解決の方法を模索し、世論の高まりとともに、煤煙や排水の垂れ流しには規制がかけられ、浄化技術の飛躍的向上に伴って、都市部の空気や河川は格段にきれいになった。

一見公害を克服したかのように見受けられるが、実は排気や排水から有害物質を分離する技術が発達したのであって、有害物質を発生しなくなったわけではない。

分離された有害物質はドラム缶やその他の容器に収められ遠隔地へと運ばれるようになったのである。

行く先は、全国の過疎地である。

有害物質の分離は、同時に廃棄物を境として、利益を受ける地域と被害を受ける地域とを分離してしまったのである。

社会活動に伴う生活環境の悪化は、それが健康被害のような不可逆的かつ深刻なものは別として、我慢の対象とし得るものはしばしば社会活動に伴うコストとして考えらる。

地域の社会活動に伴う利益は享受しておいて、そのコストや被害は地域外へ排除してそれを正当化するならば、明らかに構造的差別である。

豊島へ廃棄物を排出した企業は関西方面を中心に100社を下らないといわれるが、それらを取り巻く社会活動の恩恵を受けている人達の顔は一向に見えて来ない。

豊島事件は、国内移出の典型であって、こうした不公正は是正されなければならない。


スケールメリットへの疑問

大型開発、あるいは広域処分といった言葉には少なからず抵抗を感じる。
確かに規模が大きくなれば、単位あたりのコストは低下する。しかし、ことが何であれ、そのことにまつわってメリットとデメリットがある以上大型化すれば歪みもまた大きくなる。

それは、いとも簡単に一個人や一地域社会の及ばぬ問題となる。

廃棄物についていうならば、大型処分場の構想は、被害者を一部に集中させ、加害者を広域化させ当事者としての意識が保たれなくなる。

当事者どうしが顔を合わせて共に問題の解決策を模索できる規模を越え主体の認識と責任が失われたとき、社会活動は暴力と化す。

巨大不法投棄事件の教訓の最たるものではないだろうか。


廃棄物が語るもの

社会活動が一方で便益を生み、一方で廃棄物を生みながらも、廃棄物の問題を外部化して社会的弱者にしわ寄せしていることを述べたが、経済的な観点においても同じことがいえる。
本来社会が負担すべきコストを負担していないから豊島事件が発生したのである。 有害廃棄物を安全に処分するには相当のコストが必要なのである。 また汚染された環境を回復するためにもコストがかかる。

しかし、現行の経済活動や社会の仕組みのなかにはそうしたコストを負担する仕組みが確立されていない。

廃棄物の問題は市場原理からも外部化されているのである。

逆にいえば、「廃棄」の問題を市場原理から外すことで、本来より安価な商品ができあがり、それが実際より大きな需要を生み消費を拡大し、高度成長を支えてきたのである。

その結果、「廃棄」に伴うリスクやコストが本来受け持つべき所から逸脱してしまうのである。

その象徴的な「つけ」が豊島事件である。

さらに、環境汚染の問題が不可逆的で、私たちの社会活動の被害を受けるのが、私たちだけではなく私たちの子孫でもあるとしたら・・・

私たちは廃棄物にまつわる問題を私たちの時代からも外部化することになる。

また一方で、私たちの社会活動はいろいろな化学物質を生み、中には、ダイオキシンなどのようにリプロダクティブヘルス(性と生殖の健康)の問題を引き起こす物さえある。

廃棄物の問題はもはや、加害・被害の両面において次の世代の人達の生活・生命を脅かし始めているのである。

あらゆる意味において、廃棄物の問題を外部化したままにしておくことは、社会活動の終息さえも示唆する。

豊島の廃棄物が、今私たちに語りかけるのは無反省的に突き進む時代への警鐘であり、社会本来の目的を問い直すことではないのか。

今まさに「学べ」と叫んでいるかのようである。

今後、廃棄物の問題が最も大きな社会問題の一つになることはすでに周知の事実であり、必然的に打開できる方向性はただ一つ、廃棄物の問題をもう一度社会活動の中へ、市場原理の中へとりこむことである。

こうした時代背景の中にあって、豊島事件は今後の廃棄物行政を占う象徴的な事件なのである。

責任を負うべきはだれであって、コストを支払うべきはだれなのか十分に議論され明確にされなければならない。

そうすることによって初めて、第2第3の豊島事件は防げるのではなかろうか。


●おわりに

私たちの願いは、「子供達に豊かな環境を残してやりたい、第2第3の豊島事件を起こしてはいけない」ただそれだけのことなのである。
人間本来の、ささやかなごく当たり前の思いである。

一昔前の地域社会は、比較的自己完結型でゴミも地域の中で処理していたが、子供は勿論のこと例えば介護を必要とするお年寄りや障害者も、家族や親類あるいは隣近所で助けあい受け止めていたように思う。

豊かな社会を求めて私たちは時代を歩んできたに違いないが、いつのころからか、豊かな社会を築く「手段」の一つだったはずの「経済」が「目的」と化してしまった。

そのときから、社会は効率の悪い物、不合理なものを差別し排除するようになった。

豊島事件に憤慨した、もう若くはない一人の女性がつぶやいた。

「この国は、豊島に赤ん坊を捨て、障害者を捨て、年寄りを捨てた。まだ飽き足らず、今度はゴミを捨てるのかい」

今、このゴミを巡って調停が行われている。

住民は一丸となって取り組んでいる、元日弁連会長の中坊公平弁護士をはじめとする豊島弁護団と、環境監視研究所の中地重晴氏をはじめとする各分野の専門家の方々、そのほか豊島事件の解決を願う多くの方々の支援をうけて。

調停委員といい、専門委員といい、この国を代表する方々である。臭い物には蓋をするといったやり方で、まさか「真実までも豊島に捨ててしまう」ようなことはあるまい。

いや、あってはならないのだ。


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